思い起こせば、私がこの戦争体験記を書いたのは、富士川町の友人・望月富子様からのご依頼によるもの。そして富士川町・婦人会・文化部から、『戦前・戦後を生きぬいてきた、母たちの記録集・第三号』として、昭和六十一年三月に発刊された。『国連婦人年十年』という意識も私にあり、『思い出すのが辛い・・・書くのが辛い・・・』などと、自らに甘えてばかりいないで、散華するしかなかった、数え切れない生命に対しても、生き残った者の、せめてもの義務として、書き残す気になり、ペンをとったのであった。当時の事、手書きのものをコピーして、係りの方が手作りされた、貴重な文集であった。その後、ごく内輪の人々に、私の体験記を贈った。
平成六年六月の戦災五十回忌には、この体験記に少し加筆して、親戚・檀信徒・友人などに配った。かなり広範囲の方にお読み戴けたようで、沢山の反響があった。殊に、小・中学校の先生方から、社会科の授業に使いたいからと本を請われたのであった。朝日新聞(大阪)の記者の訪問も受けたし、中学生もよくグループでやってきた。静岡市の戦災記録品を収集して、常設展示するからと、有志の方々がその資料の一つにと、持って行かれた事もあった。
平成七年六月には、『終戦満五十年の特集記事』として、読売新聞・静岡版に、大きく取り上げて戴いた。沼津・真楽寺ご住職首め、沢山の方々から、ご感想や激励を戴いた。
平成八年三月には、『私の戦争体験』が、『日本女子大学・家政学部・児童学科・縦の会』から発刊され、載せて戴いた。(戦時下の生活)(学徒動員)(空襲)(疎開)(引き揚げ)と、敗戦時に、四歳から二十三歳だった童女から乙女たちの手記を集めたものである。
平成十年四月十三日には、この本のご縁で招かれて、東京・南池袋公園の碑の前で、根津山防空壕一帯で散華された、七百七十八名の追悼会を、お勤めさせて戴いた。戦争体験者は、近年とみに減少している。次の世代に是非伝えたいが、それには、タイミングが必要であろう。『知りたいと思った時に、読んで貰えるように、その為には、書き残すしかないのでは・・・』と考え、皆様にもお勧めしているのである。