敬って大慈大悲の阿弥陀如来の尊前に白して申さく。本日茲に、遺族・檀信徒参集し、尊前を荘厳して、当山十一世・十二世住職・寺族・並びに、有縁戦争殉難者の五十回忌法要を勤修し奉る。
夫れ惟れば、三界は家宅無常にして、衆生は煩悩熾盛なり。愛欲名利の心繁くして、瞋恚の炎を燃やし、猜疑と傲慢の思い断ち難くして、闘諍の心いとど堅固なり。果ては自損・損他の過、逃れ得ずして息むことなし。
顧みれば、半世紀前の戦火は、個人の闘争・殺戮に非ずして、民族の横暴・国家の侵犯なり。然れども、一度戦火起こらば、干戈は平安を破り、兵馬は無辜の民を躙る。人は鬼畜となり果て、銃弾に心身を傷つけ、砲火に身命を抛ちし者、その数を知らず。或いは碧空一瞬の閃火に数十万人を殺害す。十有余年の戦乱に、三百万人の同朋と、洋の東西にわたり、七千万人の生命を損えり。実に無明の暗夜続きて、三途黒闇果つることなし。嘆きてもなお嘆くべし。悲しみてもなお悲しみ足らざるなり。戦火熄みて茲に五十年。今になお、その傷痕に苦しむ人少なからずといえども、却って、刀槍の悲惨さを知らざる者、数を増せり。
然る間、印度西天の論家・中夏日域の高僧、如来の願力不思議を以て、安養浄土に往生することを信知し、他力念仏の旨趣を宣説し給う。幸いなるかな、吾等宿縁によりて、真実の浄真に目覚め、信楽不退の大道を歩まんとす。迷界の愚昧を恥じて、捨て難き恩讐の情・断ち難き哀惜の念を超えて、斉しのく倶会一処(注)喜びを分かたん。三界六道の冥闇を厭い、思いを難度の法海に浮かべ、戦なきを念じ、永遠に兵戈無用を誓い、ひたすら佛恩報謝の道に勤まんことを・・・。伏して請い希くは、如来深く大悲を垂れて、哀愍摂受し給え。
平成六年六月十二日
円乗山明泉寺十四世・釋尼妙尚
注:倶会一処 (くえいっしょ) は、原文では「倶」が旧字体でしたが、新字体で表記しました。