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今からおよそ500年ほど昔にも病気が流行りました。
その当時のことが蓮如上人の御文(お手紙)に出てまいります。
そのお手紙を現代の言葉に訳しましたので下に載せておきます。
最近、思ったよりも多くの人が病によって亡くなっている。しかし、人とは病によってはじめて死ぬのではない。生まれたときから決まっている定めによるものである。定めゆえにおどろくことではない。しかし、このような時に亡くなるのは誰もがきっと病のせいだと思うのだろう。それは当然のことである。
そのようなことがあるので阿弥陀如来は「教えが失われる時代に生きる人々よ、あやまちを犯してしまう人々よ。罪がどれほど深くとも私を一心にたのむ人々をかならず救いましょう」と仰った。
このような時代では、ますます阿弥陀仏と深くたのみ申し上げて、極楽に往生すると感じ取って、ひたむきに弥陀を尊きことと称え、疑うこころを露塵ほども持たないことである。このように心得れば、寝ても覚めても南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称えるだろう。そうすることによって私たちは易しくたすけられる。このありがたさ、うれしさが阿弥陀を通じて私たちの心に湧き起こる。これこそを仏恩報謝の念仏というのである。 かしこ
1492年6月 蓮如78才
日常的には、「もっぱら他人の力をあてにする」「他人まかせ」という意味で、使われています。
しかしこれは大変な誤解です。
親鸞聖人は『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』
に「他力といふは如来の本願力なり」と明示しておられます。他力とは、他人の力ではなく、仏の力、
阿弥陀仏の慈悲のはたらきを指します。仏さまの生きとし生けるものを救わずにはおれないという強い願いの
はたらき、それが「他力本願」なのです。
毎年、親鸞聖人のご正忌「報恩講」が勤められます。これを期に改めて親鸞聖人の根本の教えを正しく理解し、より良く生きたいものです。
こんな質問にお答えします。
阿弥陀如来は、迷いの世界で悩み苦しむ私たちのために、お釈迦さまとなって、この世に応現してくださり、私たちに見える姿となり、聞こえる声となって仏法をお伝えくださいました。
『正信偈』にも、「お釈迦さまが、この世にお生まれになったゆえんは、阿弥陀如来の願いを伝えて下さるためであった。」とおっしゃっています。『如来所以興出世・唯説弥陀本願海』。
私たちは、お釈迦さまの出現によってこそ、阿弥陀如来のご本願に遇えたのです。お釈迦さまが、どうでもいいということでは決してありません。
数多いお経の中で『仏説大無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の浄土の三部経だけが末代の凡夫が、救われるただ一つの教えであるという事が親鸞聖人が、師・法然上人からお聴聞なさった浄土真宗のみ教えでした。これこそ阿弥陀如来の本願力によって、すべての者が等しく救われることです。それを具体的に私たちに届けてくださるのが、南無阿弥陀仏のお名号です。
したがって救いの主は、阿弥陀仏如来さま以外にはありません。ですからご本尊は、阿弥陀如来さま、または六字のお名号です。その教えを伝えて下さった教主はお釈迦さまです。
そこで、ご本尊の阿弥陀如来を礼拝することのなかに当然、教主であるお釈迦さまの徳をも含んだものと理解することが、浄土真宗の立場です。
kkベストセラーズ発行で680円です。仏教宗派入門として一読をお勧めしたい本です。
興味のある方は、ぜひ何卒…。
哲学者の西田幾多郎(1870〜1945)は、東京大空襲の火災を、目のあたりにして「あらゆる書物が燃え尽くしても、歎異抄だけは残したい」とおっしゃったそうです。
これまで多くの宗教書が刊行されてきましたが、歎異抄ほどたくさんの人々に読まれ日本人のこころを育み支え続けてきた本は他にはないでしょう。
「歎異抄」を初めて手にした人は細かい内容はわからなくても、なぜか言い知れぬ感動のようなものを、その文章から味わうことができるようです。
まず文学性にすぐれていることです。日本文学の安良岡康作氏は,著書(対話古典シリーズ『歎異抄』旺文社刊)の中で、第1条〜第10条について、「1.親鸞の語録が深い内観・自省に貫かれている 2.悩み苦しむ人間として、自己を告白する態度をいつも保持している 3.感傷を断ち切って飛躍した強い意志の発揮が存する 4.一切の人間を区別せず信仰に徹したひとりの宗教的人格の香気を感ずる」と評し、「日本人にとってかかる古典を文学として持つことの意義の重大さをいつも考えさせられる」と述べておられます。
人生で迷ったり悩んだあげく、「歎異抄」を紐解くことで救われたという人が古来より数多くおられます。それは「人間の善悪と念仏による救いの問題」が説かれているからだと思います。
人間の善悪をはじめ、この世の一切の価値観を超越した絶対無限の阿弥陀仏の救済の世界に、私たち一人ひとりが差別なく包まれているというお念仏の教えを「歎異抄」を通して、私たち親鸞聖人から直接聞かせていただくという形で味わうことができるのです。
「不思議な事件だね」「○○の七不思議」など不思議は、思いはかれないこと、いぶかしいこと、あやしいことや、怪奇という意味の日常語です。
現代は、合理的理解の及ばないものはあり得ないと思っている人が多いので、不思議というときには、異様なものという思いが先立つようです。不思議はもともと「不可思議」の略です。
人間の言葉で言い表したり、心でおしはかることのできないことをいい、仏の悟り智慧や祈願などの形容に用いる語で、仏典にしばしば登場します。
阿弥陀仏を不可思議光如来というのをはじめ「歎異抄」には「弥陀の祈願不思議に」とか「不可称不可説不可思議の故」とあるなど、用語例は数多く見受けられます。
テレビや新聞のニュースを見ていると、不安な事ばかりです。
親が子を殺し、子が親を殺す。友人を殺し、幼児を虐待し、老人をだます。お金のためなら何でもするような事件が多いですね。これでは安心して暮らしていけなくなりました。安心とは心配がなく、心が安らかなことをいいます。赤ちゃんが、母親の胸の中で安心し切って眠っているような状態です。
仏教では、仏法によって心の安らぎを得て、動ずることのない境地をいいます。
禅宗では(あんしん)と読み、修行によって得られる安定した心の境地をいいますが、浄土真宗では(あんじん)と読んで、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏して浄土に往生できると確信して疑わない心をいいます。
「安心立命」(あんじんりゅうめい)は、天命を知って心を安んじ、何事にも揺らぐことのない境地の意味ですが、安心は仏教語、立命は儒教語です。
いずれにしても、安心できる世の中になるように、ご一緒に勤めたいと思います。
私が大谷大学を卒業し、教師となったのは昭和57年の春でした。当時は同じ単位を取得しても、男性には僧都が与えられるのに女性には入位しか与えられず、無論女性住職はまだ認められていませんでした。平成3年、男性の後継者を欠く寺院に限定して、女性住職が任命されるようになりました。私は父(13世住職)の病死、母(14世住職)の病弱の後を引き継ぎ、平成16年に代務者となり、平成18年に15世住職に就任しました。寺族として過した頃に比べて、住職となった現在は、新しい視点に立って、寺の在り方を見つめるようになりました。
34組には、現在女性住職は唯一人。心細い思いもしておりますし、男性中心のものの捉え方に、憤りを感じる事もあります。間衣で外出したり、葬儀の折などに、世間の方々に好奇の目で見られる事もあります。ミスをすれば、「女だから・・・・・・」発言すれば「女のくせに」と陰でささやかれたり、また声明では、男性の声に合わせられない辛さもあります。
平成8年、宗務所に女性室が開設されて以来、宗門も「男女平等参画」の課題に取り組み始めております。親鸞聖人が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(聖典640)と受け止められたその「一人」の発見。それが、「御同朋・御同行」の在り方につながると、私は思います。誰しもが重い存在であり、その一人一人が本願に出遇う事を願われているのだと思います。
当山の明治初期までの過去帳には、女性子供の殆どは、法名のみで俗名は載っておりません。『塗師屋○右衛門母』と言う具合です。驚くべきは『釘屋○左衛門孫』などともあります。戸主の孫だけでは、父さえわかりません。戸主の長男あるいは次男の子でしょうか。昔の過去帳を開くとき、この時代の女性や子供の立場を、私は万感の思いで眺めております。名前さえ残せなかった当時の女性は、日々をどんな思いで生きてきたのでしょうか。
さらに昔の鎌倉初期、恵信尼(宗祖の奥方)は女性として、また自立した一人の念仏者として、立派に生きられた方であったことは、遺された文書によっても明らかです。「弥陀の本願」により、すべての人は、無差別平等に救われます。女性室は宗門に身を置く女性たちが、永年にわたり、忍耐と勇気をもって、歎異の精神「願もって力を成ず。力もって願に就く」(聖典199)に生き、また大経の第35願(聖典21 女人往生の願)を力としてきた本願の歩みなのです。男性も女性もその立場や特性は異なるけれど、互いに認めあい、理解しあい、心を配って、響きあう、よい関係を結び、共に歩んでいけるようにと私は希望してやみません。